何か書こうとしたら意外と考えてしまい「こんなこと書いてよいのだろうか」とウジウジしています。やはり後先考えずに勢いって大切ですね。年とともに勢いが無くなるんですよね色んな部分で、、、
年といえば現在、私46歳ですが、20年前に思い描いていた中年像と今はぜんぜん違うんです。もっと大人になっている筈なのにー!と不思議な感じです。これからの20年先→66歳の高齢者(60代は高齢者じゃないなんて文句を言う人は器が小さい人と認識しています)になってしまいます。どうしましょって感じ。
高齢者になってもアートを楽しんでいる方々は高知でも沢山おります(高知県の2015年の総人口にしめる65歳以上の割合は32.8%)ネット調べ。そして、定年後趣味でも始めようと写真やら絵画やらを習い始めちゃうから、どちらかといえば高知のアートシーンではマジョリティです。なぜなら若者は都会に行ってしまいますから…
その多数派として君臨しているお年寄りたちは、私からしたら「面倒くさい」の一言です。
以前ヨーロッパ写真家の展覧会を企画展示した時のこと、お客様で某写真クラブ会員のお年寄りが一枚の写真に食いつきました「この写真は明るすぎる!失敗写真じゃ!」その時、会場に居たので私のなりの説明をしました「作家がこの明るさが良いと思い展示発表しています。失敗とかではなく作家の表現です」お年寄りは理解できないのか私の説明が悪かったのか「でも失敗じゃ!写真クラブの先生は明るい写真は失敗と言っておった」そうなんですよね。雑誌でも適正露出なる言葉がありますもんねってそこは違うだろーって感じです。明るい写真が失敗と教わり、その価値観で制作していけば明るい写真を表現できなくなります。自ら表現の幅を狭める頭の固いクソジジイ!と年寄り=頭が固いとステレオタイプになるじゃないですか。私はカメラ・オブスクラの原理を利用して作品制作していますが、ちょっと難解な表現は説明が難しいですが子供はすんなり理解(していないかも)くれます。しかしカメラに詳しい人(お年寄り)ほど、素直に理解してくれません。
そんなお年寄りアート王国高知の先生&指導者たちが絶対的な権力を持っているので何も考えない勢いの若者は太刀打ちできません。どうぞ新しい表現を求めて県外に進学してください。
そんな面倒くさいお年寄りですが、人生の先輩でもあります。バブルという良い時代を謳歌し酸いも甘いも経験して今があるわけです。若者中年の経験値なんて足元にも及びません。面倒くさいですがどうぞアートを自由に楽しんでください。
そういえば今日、高校生が帰り際に挨拶せずに帰ってしまいました。同年代の中年と最近の若いもんは挨拶もしないとプンプンしていましたが、もうすでに面倒くさい中年になってしまったのでしょうか・・・
高知のお年寄りとアート